SSSS.DYNAZENON

SSSS.DYNAZENONを見た。 1話を見始めたのがおそらく半年前になるだろうか。 最初の方はなんかダレてしまってそれほど真剣に見ていなかったのだけれど、今になってそれを後悔するほど、最後の方は熱中して見ていた。 ダレているころは無邪気に「グリッドマンの方がおもれ〜わ」だとかなんとか適当なことを言っていたが、こうなってくると甲乙がつけがたい。 終わり方はむしろダイナゼノンの方がよかったんじゃないか、とさえ思う。

「メタに逃げない」は気持ち悪いおたくたちがふざけて(時に真剣に)掲げている標語だが、思い返すに、SSSS.GRIDMANはもしかしたら「メタに逃げ」ていたのかもしれないと思う。 『UNION』のMVは確かに素晴らしかったが、あの壊れるべき世界で暮らしていた人たちはどうなったのだろうか。 まだ納得できていない。 おたくがまぶたの裏でこね回している世界の住人たちも、その世界では自身の生を生きている。 かれらの生を否定するには、少し長くアニメを見すぎてしまった。

……グリッドマンを見終わったのが去年の夏休みだったはずだから、もう半年くらい経ったことになる。 半年もあれば同人誌の1冊や2冊は出るし、学年の1つや2つも上がる。 記憶も薄れているはずである。 Twitterの新条アカネアイコンがさ、などと言っている連中のことばかりが頭に残っていて、肝心のアニメ、そして救われたはずの新条アカネさんのことはもうすっかり忘れてしまった(凍結してしまったらしいですね。ドンマイ! 次がありますよ)。

ダイナゼノンの感想を書くページなのだから、いつまでもグリッドマン(とくだらないインターネット)の話をしていないでダイナゼノンの話をしよう。 結局(これも悪い口癖だと思う。字数制限のために圧縮した文章を投稿してばかりいたら、「結局」だとか「結果的に」だとか、とにかく終わりまで急かすような文章を書くことしかできなくなってしまった。いくらかのリハビリ期間を経て、Twitterを始める前のところまで一度戻りたい)、今回はみんな救われたのだろうか。 ガウマは麻中蓬さんたちに自らを捧げた。 南香乃さんは? 彼女はもう死んでいる。 本当に誰も、いかなる形でも生を否定されなかったのか。 自己自身の有限性と正面から向き合う時間は十分に与えられたか? 退場した怪獣優生思想の冥福を祈りたい。

自暴自棄になった弱者と対峙して、他者とのどうしようもない隔絶を感じたら、どのように振る舞えばいいのだろうか。 メタに逃げ続けて21年、未だにその方法がわからない。 抜け出しがたいほど深い絶望の中にいる人間と対峙することは、発生したばかりの意識にとって、自己のあり方を規定する大きな一歩だと思う。 メタの羊水の中では、絶望する他者に向き合わずにいることを許される。 メタの羊水に留まり続けていると、いつまで経っても死と向き合うことはできない。 死と向き合えないうちに老いて死ぬことは恐ろしい。 怪獣優生思想のあり方を自暴自棄であったと断ずるか否かはさておいても、カオス的な様相の中で、どのようにして他人の生と向き合う自分の生と向き合っていくのか、という問いに本当に直面することから逃げるべきではない。

ファニー・フォーのファニーってフォニィなんですね。 簡単なことも知りませんでした。

アニメを真剣に見ていないからすぐ劇外の話に飛んでいってしまうが、今度こそ、麻中蓬さんと南夢芽さんが(また別の)隔絶の中に一歩を踏み出したことを、祝福したいと思う。 かれらは、少し都合のいい言い方をすれば、メタに逃げなかった。 メタに逃げず、生と死に向き合った場所で、幸福を、麻中蓬さんの言うところの、かけがえのない不自由を掴み取った。 不自由に正対する勇気と、不自由を選び取る自由。 両方を持ったかれらの行く末を、心から応援したい。

ところで、同じ傷跡が残っている人間同士で付き合いだすと、別れた後が本当にキツいんじゃないかと思う。 将来キツい思いをしないためにも、本当にがんばっていただきたい。

てか人間がくっついた後ってその続きが本当に気になって仕方がないけど、目の前で普通に惚気られると今度はそこそこ微妙な気分になるのなんなんすかね。

ともあれ、これでようやくグリッドマンユニバースと向き合うことができる。 グリッドマンの続きが見たいから、という実に消極的な理由で見始めたダイナゼノンだったが、今ではダイナゼノンの続きが見たいから、という大変に積極的な理由でグリッドマンユニバースに臨んでいる。 大きな進歩だ。 合体とも言えるかもしれない。

行くぜ! ダイナゼノン・フルバースト!!

……アニメに逃げるな!

2024-02-03, 書いた人: 宇田