おはようございます。宇田です。

この間墓参り行ってきたんですよ、墓参り。

富士霊園っていう富士山の裾野にある巨大墓地なんですけど、場所によっては地形に隠されて富士山が見えなかったりして、まあ別に死者の想いがどうこうとかそういうことを問いたいわけではないんですけど、墓を買う側からしたらサイダーかと思って買った飲み物が炭酸水だったときみたいな残念感が拭えないな、と思いました。

富士霊園は巨大霊園なので、墓参りに行きますよ、と連絡すると坊さんが待っててくれて念仏とかを上げてくれます。 3種類くらい。 1つは確実に般若心経だったんですけど、他はいったい何を読んでるのか全然わかりませんでした。 尋ねたら名前とか、あと意味とか教えてくれるんですかね。 聞きそびれたのでまた来年聞いてみようと思います。

どうやら祖父が死んでからもう5年くらい経つみたいです。 信じられませんね。 信じられないんですよ。

あんなに元気だった……というほどでもなく、痛風と腎臓病を患い、毎日の食事の塩分量と焼き魚の食べ方には厳しく、日々何をして過ごしているのかもわかりませんでしたが、新聞に載っている碁譜を手元で再現していたのでしょう、それなりにしっかりとした碁盤の上に並ぶ石の目が日々変わっていました、そういった祖父の、死の床にあって日に日に痩せ衰えていく様子、あんなに道に迷うから運転したくない、と言っていた車を駆って毎日見舞いに通う祖母、生気の宿らないゴムマスクのような質感の死化粧を棺桶の傍から覗いたことが、今となっては彼についての一番の記憶になってしまいました。

遺品は少し新しいフリース生地の上着と、ついぞ聴くことのなかったウクレレ、囲碁の道具一式、あとは生活に必要ないくらかのもの。 墓参りは年に一度、なんとなく何人かの都合が合う日に。 生きたつながりを失うと、人間は途端にコンパクトになるものだな、と思います。

寂しさを覚えたりすることもなければ、死後の幸福を祈ったりすることもあまりないけれど、ただ生きてくれてありがとうございました、と、祖父のことを思い出すたびに祈っています。 今とか。

 

祈るということ、祈り手の持たない力を持つなにがしかが存在して、あるいはそう信じることができて、そのなにがしかに、しかじかという私の思いを聞き届け、よしなに取り扱ってください、と願うこと、これが素朴な意味での祈りだということは、われわれのうちに共有された考えだと思うのですけれど、どうやらこれでは不十分らしいな、と最近は悩んでいます。

単に、なんらかの不足によりこのままでは遂行されえない行為を、能力を持つ代行者として、あるいは補完するような形で、あるいは共に、遂行してくれ、と願うこと、これは祈りのある一側面に過ぎない。さる合間にそう示唆されてから、しばらくこの問いに向き合うような向き合わないような時を過ごしてきました。

いまこれをこの場に出してきたのは、これに関する一つの答えを見つけたとか、そういったことではなくて、ただ、「生きてくれてありがとう」というような感謝の祈りは、まさに超越者による取り扱いが不要な部類の祈りだな、とふと気がついたためです。

感謝の祈りは誰かに聴かせるようなものではなく、ましてや願いでもない。 それでは、私はなぜこれを祈りとして取り扱っているのだろう。 ひとつは、応答不可能なもの、これはたまに責任を持ちえないもの、などと言葉遊び、テキストとの戯れ、そういった表現の中で同一視されますが、そういったものに呼びかけることの一般が、すなわち祈りの内包だからなのかなと思います。

相手が応答不可能であるからこそ、祈りは単なる要請から離れ、ある意味で接地せずに耽美なまま他者から独立して存在しえて、また、相手が責任を持ちえないからこそ、祈りは希望として輝けるのでしょう。

 

さて、少し長くなってしまいました。 まだ、「草々」とか「かしこ」で終わる、なんとなく素朴で柔和な文章って素敵すぎる、だとか、指示代名詞は言葉の型を明示しなくてもいいうれしさがある、だったりとか、いろいろ話したいことがありますが、今回はこの辺で。

最近は寒くなって、なんとなく部屋のドアを閉ざしがちなまま一日を過ごしてしまいますが、みなさんにおかれましてはどうか明るく——笑って過ごしてもらえたらこんなにうれしいことはないな、と思います。

どうかお元気で、そう祈っています。

2024-11-20, 書いた人: 宇田