あなたはどんな文脈の上にいるか?
今週は本当に学びの多い一週間だった。肉じゃがを作るときのコツ、ヨーヨーの新しいトリック(つい三日前ほどに友人からヨーヨーをプレゼントしてもらい、以来、少年の日々を取り戻すように暇さえあれば手元でくるくると回している)、そして研究のこと。
これまで知らなかったことを知ること。できなかったことができるようになること。どれをとっても世界にとってはどうせ大したことのない進歩だが、私にとっては大きな一歩だ、云々。
色々な一歩を踏み出したけれど、それでは、記念すべき第一回のワンライのテーマにはどれを選ぼうか。どれをとっても一時間かけて語るに不足のない内容であることは確かだけれど、どれを語るかは非常に悩ましいものである。なにせ、歴史に残る一本めのレポートなのだから。
そう考えたときに、ふと、自分はどうしてこんなことを企てたのか、ということに思い至った。もっと言えば、「動機」というものをよく見つめたくなったのである。
最近、一本の動画を見た。ダ・ヴィンチ・恐山(かのインターネット・大スターである)が開店前の本屋に行き、一万円の予算の中で好きな本を買えるだけ買う、という動画である。動画の出来栄えが素晴らしかったことについてはいうまでもないが、私が注目したいのはそこではない。すなわち、その動画を見た後に、私の心に起こった変化である。
言葉を選ばずに言えば、自分も真似をしたくなった! 今すぐ一万円札を財布から取り出し(取り出せるものならば、)、握りしめ、新宿へとひた走り、新宿ブックファーストで心ゆくまで本を吟味したくなったのだ。
「動機」とはこういったことである。ほとんどの場合、誰かの行動の背後にはそうしただけの理由がある。もっと正確に言えば、我々の行動の間には、隠れたいくつもの連関があり、ここに挙げたような単純な「動機」のモデルだけではなく、いくつもの現象が、あるいは我々には知覚できないような、あるいは我々には思考さえできないようなやり方で接続されているのである。
先ほどの例に立ち戻ると、私が本屋へ飛び出したくなったのはただ動画の真似をしたかったからというだけでなく、たとえば最近あまり新宿に行っていなかったことを思い出したのだったり、あるいは所有欲を刺激されたのだったり、クローゼットの奥に眠っていた秋服を引っ張り出したのだったり、サンフランシスコのサーバーで電気信号が縦横無尽に駆けずり回ったのだったり、もしかしたらオーストラリアのどこかで一輪の花が咲いたのだったり、そういった接続があったのである。
最近読んだ『現代思想入門』という千葉雅也(これもまたインターネット・スターであろう。このようにして、数々のインターネット・スターが私に影響を与えている)の本によると、ドゥルーズ(かの高名な哲学者である。残念ながら、彼がインターネット・スターであったという話は寡聞にして知らない)はこのようなつながりのことを「リゾーム」と名付けたという。リゾームとはもともと植物の根茎のことで、我々には見えない土の中で縦横無尽に張り巡らされ、どこかとひたすら繋がりあっているその様子のことを、こういった現象同士の接続になぞらえたのだろう。
こういったリゾームが我々の知覚できない土の中でどんどん接続されていくことによって、逆に我々の知覚している接続は相対化され、「動機」のモデルは脱構築される。動画に影響を受けて本屋に走った、という先ほど挙げた私の行動の説明は、ドゥルーズの哲学の中ではもはや時代遅れなものとして錆びついてしまうのである。なぜなら、すべての現象が私の行動に接続されているのであり、動画を見たから、という一見してわかりやすい理由はそのほかの無数の理由と並べられ、かすんで消えてしまうからである——とまではその本の中には書いていなかったが。だいたい私の妄想である。だいたいこんな語り方が許されるわけがない。世界には量が、あるいは重みが存在するのだから。
さておき、それではこのような「動機」、あらため「文脈」の上にあなたはいるか? あなたはどんな文脈の上にいるのか? このコンテストに参加したのはなぜか? 学びとは何か?
なんともまとまりのない疑問である。だが、結局のところ問いたかったことは、これがレポートである以上、それは私が答えなければならなかったことなのだが、それはこうである。
学びとはツリーである。誰かが打ち立てたテーゼに依存する形で次のテーゼが、あるいはアンチテーゼが成り立つ。それはまさに弁証法そのものであり、古代ギリシア以来、あるいはもっと抽象的な目で見れば我々の祖先の細胞に “if
” が搭載されて以来の我々にとっての常識である。ところが、ドゥルーズはこれは正確でないモデル化であり、実態はリゾーム的であると反駁したのである。
すなわち、我々の学びには文脈がある。さまざまなものから影響を受けて私は、あなたは今週何かを学び、そしてそれを今ここに一時間かけて記述しようとしている。そしてそれはまさに終わろうとしている! 私がこのコンテストを企画したのはあなたが何を学んだのかが知りたかったわけではない。私は、あなたがどんな文脈の上にいるのか、あなたが書いたレポートを通して、ただそれを知りたかったのである。
その上で、改めてこう問おう。
あなたはどんな文脈の上にいるか?
私はこんな文脈の上にいる!
2024-10-12, 書いた人: 宇田
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